写真部の体験レポート2014
大正末期から昭和初期にかけて岐阜に出現したといわれている『天ぷら中華』。 中華そばに天ぷらを乗せたメニューは一見ミスマッチに思えるかもしれませんが、あっさりした和風だしにエビ天のコクが出て一層美味しくなります。岐阜市柳ケ瀬やその周辺にある、天ぷら中華のお店を3軒巡り、ひたすら食べるプログラム。この写真は、3軒目の『一八屋』です。案内するのは、「天ぷら中華人民共和国党執行部」。
柳ケ瀬あい愛ステーションに集まった、頑丈な胃袋を持った面々。党文化部長の案内で、柳ブラしつつお店に向かいます。柳ブラだけでも面白そうなプログラムになりそうです。
1軒目、柳ケ瀬弥生町にある老舗、『和風中華そば丸万』。メニューは中華そばとワンタン、そのトッピングに天ぷらがあります。サクサクの天ぷらも良いですが、だしが染み込んだ衣も美味しい。スープはたまり醤油独特の色で濃い目に見えますが、見た目よりあっさりとしています。
まず、一杯目。「フムフムこれが天ぷら中華かぁ」余裕で食べてしまいました。全国的には、天ぷら中華は秋田や青森から広島や愛媛あたりに存在し、秋田や広島は熱いらしいとのこと。広島県庁の食堂には、メニューに天ぷら中華が有るようです。「岐阜も県庁や市役所の食堂メニューに載るようになって欲しい」と、天ぷら中華人民共和国国家主席の言葉が発せられました。
丸万をあとにして、また柳ブラ。途中、岐阜ラーメンの一つ『丸デブ』の前へ。岐阜ラーメンの定義はありませんが、丸デブ・ベトコンラーメン・天ぷら中華を岐阜ラーメンと、個人的には思ってます。
またまた、文化部長の柳ブラツアー。飲み屋街の路地など入って行きたくなります(笑)。この繁華街、その周辺に集まる交通網が、天ぷら中華へとつながるのです。
2軒目、千手堂にある『太田屋本店』へ。創業は大正時代、うどん・蕎麦から丼物まで充実している、昔ながらの食堂です。千手堂はその昔、市内電車の分岐点であり、岐阜駅や美濃町方面から鏡島や忠節・揖斐方面へと分かれていました。仕事や遊びで集まるこの地。急いで食事をして次の場所に向かったり、帰ったり。中華そばだけでは物足りなく天ぷらを乗せた、それが始まり。そして、いつしかメニューに。
他の土地にも天ぷら中華はありますが、お店の人のお話などを聞く限り、どこかから伝わったのでは無く、それぞれの場所で生まれ育ったものと考えて良さそうです。岐阜の天ぷら中華は、岐阜の味ですね。テーブル席と座敷がある太田屋。座敷でゆったり食事ができるのがよく、何といっても、良心価格が嬉しいです。二杯目完食。
3軒目は昭和町にある『一八食堂』。本記事の冒頭の写真が、ここの天ぷら中華です。一八食堂も昔ながらの食堂で、値段も良心的。昼時には混み合っています。ご主人は岐阜ラーメンの一つ、丸デブで働いていたと伺い、ビックリ。話を聞きながら三杯目完食。
今回の参加者は、天ぷら中華人民共和国の国民に認定です。
三杯も食べると塩分が気になるので、スープは飲み干しませんでした(涙)(016 平山) 「 立てよ人民!食せよ天ぷら中華!! 」
新聞で紹介されました!岐阜の郷土料理に鷄ちゃんがあります、その鷄ちゃんを普及している鷄ちゃん合衆国に対抗した記事になってしまいました(笑)天ぷら中華も鷄ちゃんも新しく岐阜グルメになったわけでは無く、ソウルフードとして普通に食べられてきたものです、みなさんももっと食べましょう。
全国版にも!天ぷら中華人民共和国の名前を全国区へ!