写真部の体験レポート2014

日本古来の唄は、ドレミではあらわせない

外で唄を唄うなんて恥ずかしいと、筆者は思っていました。でも考えたら子どもの頃、「あんたがたどこさ」も「はないちもんめ」も唄いながら遊んでいたではありませんか。

子どもと一緒に遊びながら唄う「わらべうた」は、ドレミの音階とは違う、人から人へ伝わってきた節回し。「学校の音楽の時間では、どこの国でも自分の国の音楽を習うのに、日本だけは西洋のドレミに直した童謡しか習わない」と、案内人の井上博斗さんは危惧しています。

岐阜弁がふんだんに入った唄は、空を飛ぶトンビや、池に飛び込むカエルや、ほうぼうで鳴く秋の虫や、緑を揺らす風が、そこにあることに気付かせてくれます。あまりにも身近にありすぎたからこそなのか、おじいちゃん・おばあちゃんから子どもへ伝わらなくなった今、900もあった岐阜の唄を唄える人がいなくなりつつあります。

自然と、人と、唄が、土地にうまれました。その土地ごとに野菜が生え、水が流れるのと同じように。

風も、鳥も、虫も、感じ取るのがうまいのは子どもたち。
その土地で生まれた唄だから、その土地にあるものが出てきます。

ゲーム機も、テレビもなかった時代に生まれた唄だから、なにも持っていなくても、すぐに遊べます。

遊び上手なお父さん・お母さんになれたら、子どもたちの笑顔が増えるに違いありません。

子どもたちも、遊び上手なお兄さん・お姉さんになっていけたらいいですね。

筆者も子どもがいますが、そうして、自分がいま生きている場所が好きだと思える子になってくれたら、嬉しいです。

この土地の子どもたちに、この土地の唄を伝えたい。

難しいことは抜きにしても、
自分が生まれ育った土地で、ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんたちが唄っていた唄を、
自分の子に教えてあげられたら、すてきです。

お母さんと唄ったり、自然の中で何かを見つけたり、その時間が子どもたちの宝物。

とはいえ、このプログラムに参加して、ちゃんと最初から最後まで唄を聞いていたり、一緒に唄ったりする子は(年齢が小さいせいもありますが)あまりいません。

でもそのかわり、連れてきたお母さんもびっくりするくらい、自由に何かを見つけたり、子どもどうしで遊んだり、この時間を楽しんでいます。
途中でブランコに乗りにいったっていいんです。
神社の石を一生懸命拾い始めたっていいんです。
おかあさんも、お子さんといっしょにみんなから遠く離れていても大丈夫。

草笛がふけたら、かっこいいね。

井上さんが、草笛を教えてくれました。
上手に鳴ったときの、手の中がピリピリ震える感じに、大人も真剣。
まるで夜に鳴く鳥の声のよう。

ほら、大人たちだって、楽しそうに遊んでる。

「あんたがたどこさ」を岐阜バージョンにして、身体を動かしながらする遊び方を伝授。

「あんたがたどこさ 岐阜さ
 岐阜どこさ  ●●町さ
 ●●町どこさ 金華さ
 金華山にはタヌキがおってさ
 それを猟師が鉄砲で撃ってさ ……」

 向いあい、リズムにあわせて前後にジャンプしますが、「さ」のところだけ、横に飛ぶ、というシンプルなルール。だけど、つい間違えてぶつかってしまい、笑いがおきます。
 子どもの頃なら体が軽かったのに、大人になると部活トレーニング並みのハードさ。

 子どもの遊ぶパワーって、改めてすごいです。

子どもたちが、遊んでいた唄ですもの。

こちらは、一人バージョン。子どもたちがブランコに乗って眺める中、大人たちは頭が混乱中!
みんなの楽しそうな雰囲気は、幼い子たちにも伝わります。

唄のピクニック、のんびり、子どものペースで、雲といっしょに。

生活の中で親が鼻唄でわらべうたをつい口ずさむくらいになって、はじめて子どもたちの暮らしに根付く、わらべうた。

最初はちょっと照れましたが、ゲームのように順番が飛んでくる唄あそびに、みんな子どもと遊びながらリラックスして唄っていました。

昔の人もみつけた宝物を、つないでいこう。

途中、神社にお参りし、境内の滝に石を投げ込んだり、どんぐりを拾ったり。
昔から変わらない、あたりまえの暮らし方なのに、気づけばこんな機会でもないと、なんでもない日にこんな経験をさせてあげていなかったかも。
虫の唄で、虫の名前を覚えられるかな?


まだ、身近に、風や、鳥や、虫は、いるのだから。

長良川おんぱくでは、あと3回このプログラムが実施されますし、
岐阜市と郡上市で月1回、同様のサークルが行われています。

ぜひ、お弁当もお持ちください。みんなで、そのあと芝生でお昼ごはんにしましょう。

プログラム:
親子で唄おう 岐阜のわらべ唄

(奥村裕美)


●岐阜新聞連載コーナーにも掲載;
  おんぱく写真部 いいモノ発見!